HISTORY OF FK ADRIA

FKアドリアについて

クラブ名であるFKアドリアのADRIAは、アドリア海を意味しています。

モンテネグロには、サッカーだけでなく他のスポーツにおいても、恵まれてるとは言えない練習環境の中、選手が育っています。幼少時代から強いハングリー精神を持って、トレーニングを行ってきた成果と言われています。アドリア海沿岸地域には、世界での活躍を夢見る多くのライバルと切磋琢磨していく土壌があります。

FKアドリアは、この地で日々の練習や激しい競争、地域との交流を通じて、多くの選手の成長と世界への排出をしていきたいと考えています。将来的には、アドリア海沿岸地域を代表する育成クラブになっていきたいと強く願っています。

EMBLEM

FKアドリア ロゴへの想い

日本とモンテネグロの友好を表すクロス、センターの丸はボールと日の丸。

アドリア海の熱意を表す荒々しい波。

モンテネグロの象徴でもある世界遺産コトルの風景。

この風景を逆さにすると原点でもある桜島をかたどります。

アドリア海のブルー、戦う情熱のレッド。

モンテネグロと日本の力を合わせたアドリア海地域で一番の育成チーム、
世界への人材育成輩出を意味するロゴになります。

世界の平和の為に人間性が一番大事だと考えます。

HISTORY

FKアドリア 設立の経緯

サッカーを通じて人としてのあり方 人生を学び 世界で戦えるリーダーシップを身につける。

GM 兼 コーチ

大迫 貴史

Osako Takafumi

私は17年前に大きな夢を持ちました。

それはサッカーの本場ヨーロッパにサッカークラブを設立し、日本と世界のかけ橋を作りたいというものでした。

プロサッカー選手の夢は叶わなかったが、サッカーで養ったチャレンジ精神で、世界へと人生の道を進めました。

世界では40カ国以上サッカーを見ながら人にふれあい国の文化を感じてきた中で、一人の人に出会いその方の国に我々日本人の大きな可能性を感じました。それがモンテネグロです。

初めてモンテネグロに来て4年150人を超える日本の若者がチャレンジをしてくれました。日本で陽の当たらない選手達、日本ではサッカー選手という夢の叶わなかった選手達がこの国では、サッカー選手として日本人として必要とされ、世界中に巣立っていきました。

日本よりもインフラは整っていない便利ではない環境 ただ生きるものに必要なものは全て揃っている そこに“人が育つ環境”があります。

今現代人に必要な、ハングリー欲、情熱、熱意、野心、勝負心、リーダーシップなどの目に見えない力(強いメンタル力)がサッカー選手、人には必ず必要です。

我々日本人は、和の心、礼儀、規律、勤勉性、組織を重んじる素晴らしい日本独自の文化を持っています。

FKアドリアは、モンテネグロと日本というお互いの文化、人種の持っていないの能力をお互いに学び、国交の成長にする。

それをサッカーというスポーツで表現していく。

モンテネグロ人と日本人で手を取り合って、アドリア地域、ヨーロッパ、そして世界の育成トップチームを目指します。

FKアドリアを通じて学ぶことはサッカー選手の前に人としてのあり方です(プロ選手=プロの人間)

サッカー選手引退後の人生の方が長く、セカンドキャリアで人生のチャンピオンになれるかが一番大事です。

チーム理念として サッカーだけの小さな枠に収まらず、サッカーを通して世界で活躍できる人材の育成、言わば、国交プロジェクトへと発展していきます。

国境を越えて国交を考え、社会、地域、そしてコミュニティーという世の中に貢献することを目的に、後世に受け継ぐプロジェクトにしていきます。

日本滞在18 年間の経験の中で、日本人選手の高い素質と不足しているところがわかりました。

監督

プレダラッグ・ステボビッチ(ページャ)

Pedja Stevovic

経歴のある選手だけではなく、陽に当たらない選手のためにプロジェクトを作りました。

プロジェクトはモンテネグロでサッカーを通じて人としても力をつけて土台を作り世界に飛び出すというものです。

この4年間やり続けて明確にわかったことは、選手自身には必ず壁がきます、その際に状況をしっかり判断でき、自分に向き合いメンタルが少しずつ強化出来た選手は人としても強くなり、サッカー選手としてもチャンスを得れるということ。

そして次のミッションがサッカーチームを設立することです。我々はモンテネグロという国に4年の時間を費やし日本人として根付いてきました。

社会的にみても日本は組織力が強く、モンテネグロは個性が強い。人種が交わることによりお互いにメリットがありより成長できます。

FKアドリアを通じて、日本×モンテネグロを世界中に発信していければと思います。